“ 悟り ” に隠された誤解 ( 2 )

この現実世界には

嬉しい ー 哀しい

喜び ー 怒り

楽しい ー 苦しい  etc…

両極が常に存在していると思います。


そして

その負の側面が余りにもツライので

人はその内の楽な一方に寄りたくなるのです。


どちらもこの現実には存在しているのに

怒りや哀しみを感じず、常に達観した面持ちでありたいと思うのです。


ともすれば

悟りとはそのような状態だと考えてらっしゃる方もおられるかもしれません。


けれども

怒りも哀しみも苦しみも

生身の人間として生きていて

そして他人と関わっていれば感じるのがむしろ自然な状態なのではないでしょうか?

それを感じないのはむしろある意味

解離であり抑圧であり、

自分への誤魔化しだと私は思います。


その湧き上がる感情に呑み込まれず

湧き上がってきたソレの存在を俯瞰し認め


そして更に1つ付け加えるならば


自分にそのような感情を湧き上がらせる対象の存在があるということの有難さを心の底から感じ入る。


悟りとはもしかしたら

何も感じない人ではなく

何を感じても有難いと感じられる人なのかもしれません。

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